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山田稔 (テレビドラマ監督)
山田 稔(やまだ みのる、1926年6月23日 - 1995年8月25日)は日本のテレビドラマ・映画監督。東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区牛込)出身〔。旧制第一高等学校理科甲類卒業〔。 == 来歴 == 、少年時代を満州国で過ごす〔。高校卒業後は出版社に勤務するが、その後東宝教育映画に入社し、助監督や制作進行などを務めた〔。その後、設立後間もない東映に入社〔。数々の東映映画に助監督として参加する。1960年代後半からはテレビ映画の監督を手がけるようになり、『悪魔くん』『ジャイアントロボ』『キャプテンウルトラ』などの作品に携わった〔。 まもなくフリーの監督となり、仮面ライダーシリーズやスーパー戦隊シリーズなど膨大な数のキャラクター作品を演出。ベテラン監督として、長きに渡り第一線で活躍した。仮面ライダーシリーズでは第1作『仮面ライダー』から第8作『仮面ライダーZX』までのすべてのシリーズに携わった唯一の監督である〔。スーパー戦隊シリーズも第4作『電子戦隊デンジマン』を除く第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』から第12作『超獣戦隊ライブマン』までの作品に参加した〔。演出作品数は、東映ヒーロー作品だけで300本以上である〔。 しかし、還暦を迎えた頃に喉に癌が見つかり、当時ローテーションに入っていた『超新星フラッシュマン』から離脱を余儀なくされた。その後1年間のブランクを経て復帰を果たすが、1988年に『超獣戦隊ライブマン』第11話「頭脳獣を噛んだ男」を最後に自ら引退を決意し、後進に道を譲った。 1995年8月25日、喉頭癌のため死去〔。。
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